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    スコータイ タイ世界遺産3ヶ所目

2015年12月29日


タイ人最初の王朝スコータイへ、嫁さんと飛行機で。
バンコクの近くにあるアユタヤには何回も行く機会があったけれど、スコータイへ行くのは初めて。
タイにある世界遺産の訪問3ヶ所目。


早朝のスワンナプーム空港からバンコクエアーに乗って、日帰りの旅。

飛行場に到着した時はまだ真っ暗だったけど、搭乗する時に綺麗な朝陽が上がってきた。


まず最初に、10世紀から18世紀に掛けての東南アジアの歴史を、自分の勉強を兼ねて、簡単にまとめ。
日本で言えば、京都が栄えた平安時代を経て、武家が権力を握った鎌倉時代から江戸時代まで。

東南アジアの3大勢力は、
クメール人(カンボジア)
シャム人タイ
ビルマ人(今のミャンマー)
それぞれとの戦いに勝った将軍が王様になりながら、栄枯盛衰の中でいくつもの王朝が作られていった。
(権力を握った将軍が王様になるのは世界の歴史の中で当たり前のことで、豊臣秀吉が王様になる様なものだけれど、日本には昔から延々と続いた王様=天皇家が存在し、統治の力学がアジアやヨーロッパなどとは異なっている)

10世紀以前よりカンボジアのクメール王朝(アンコール王朝)は、東南アジア半島のほぼ全域を支配下においていた。
やがて、タイ北部にタイ人による初のスコータイ王朝(今回訪問)が誕生し、さらにタイ中部に出来たアユタヤ王朝(2日前に訪問)はスコータイ王朝を吸収しながら勢力を拡大させていった。
アユタヤ王朝は、ついには東南アジアの大国クメール王朝(アンコール王朝)を滅ぼすにまで拡大成長。
そして、廃墟となった王宮アンコールワットは、400年もの間、場所も含めて歴史から忘れ去られていく。
さらに、タイ西側に位置するビルマのコンバウン王朝が勢力を伸ばし、300年続いたアユタヤ王朝も滅ぼされてしまう。
タイ王国の復活は、バンコクの港に首都を移し、1代で終わったトンブリ王朝の将軍だったラマ1世が現在のバンコク王朝(チャクリー王朝)を築き上げる18世紀後半となる。


左図:900年代
(赤:クメール王朝)
右図:1200年代
(オレンジ:スコータイ王朝)


まずはスコータイ遺跡の中心、「ワット・プラ・マハタート」から。


シリーズ「世界遺産と気持ち良さそうに眠るワンちゃん」


スコータイの大仏、「ワット・シーチュム


「ワット・プラパーイルアン」、中央の塔だけ漆喰を盛り直して修復してある。
クメール文化(アンコールワット)の影響を受けているのが分かる。



ブッダと言えば、”蓮の花”。
開いている花が見られるのは朝だけとか。
朝4時に起きて一番の飛行機に乗ってきたので、満開!


色々なブッダのお顔


ラームカムヘーン大王。
スコータイ第3代の王様で、地方の小国を、東南アジアの大国に発展させ、タイ文化の原点を作った人。
タイ3大王の一人で、20バーツ紙幣で毎日お目にかかっている。
ちなみに、残り2人の大王は、アユタヤ王朝のナレースワン(50バーツ紙幣)と、現バンコク王朝のラマ5世(100バーツ紙幣)。


ガイドのタナットさん。
典型的なタイ北部のチェンマイ美人(色白、大柄、彫りが深い)。
我々の専属ガイドとして、チェンマイから車で4時間掛けて来てくれた。(たまたまツアーの客が我々2人だっただけ)
普段はタイ人向けの日本ツアーガイドとして、月に2,3回は日本へ行くとのこと。
年明けにはチェンマイから名古屋に飛んで、白川郷行きとか。
最近は日本のどこに行ってもタイ人観光客が多いのが頷ける。


アユタヤとスコータイの遺跡は、レンガを積み上げ、その上に漆喰(パテ)を盛って作ってある。
でも、何百年の雨風には耐えられず、漆喰は剥げ、レンガは風化して、多くが崩れ落ちてしまっている。
1枚目の写真、ウォーキング・ブッダも、ほとんど跡形も無い。


一方、お隣カンボジアのアンコールワットは、彫刻した石を積み上げてあり、同年代の遺跡なのに風化が少ない。
改めて、その規模や貴重さから、アンコールワットの凄さが分かった次第。

本来のウォーキング・ブッダ

石造りで頑丈なアンコールワット(下の写真)。
800年の時を経ても、しっかり原型をとどめていて、貴重な遺跡。
でも、奈良の大仏は1200年もの間、我々の目の前にあり続けていて、もっと凄いのかもしれない。


寺院の守り神は象さん。
何故かスターウォーズを思い出した。


スコータイ、最後に色々な写真を。


飛行機でバンコクまで戻ってきた。
空から望むと、バンコクは水でビチョビチョの肥沃な大地というのが良く分かる。