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57年ぶりの広島と  初めての宮島

2014年11月7日~12日


広島が故郷なのだけれど、4才の頃に一度行ったきりだった。
家の前で遊んでいたら、父親が珍しく明るい内に帰ってきて、突然「広島へ行くぞ!」と連れて行かれて以来のこと。
幼稚園にあがる前のことだったので、何をしに行ったのか全く記憶に無いけれど、大阪で乗り換えた列車の先頭がモクモクと黒い煙を吐きながら走る蒸気機関車だったのだけを何故かはっきりと覚えている。
たぶん、東京から広島まで丸一日(20時間くらい)掛かったのだと思う。
その広島へ57年ぶりに。
今は新幹線で4時間、あっと言う間。

11月7日

法事があるので、57年ぶりに広島へ。
両親の故郷。
せっかくなので、世界遺産フリークとしては宮島へも行く予定。
帰りに京都にも。

=追記=
新幹線の中で嫁さんと話をしていて、どうも25年前にも自分は広島へ行ってる様子。
でも、何故か全く記憶に無いので、57年ぶりと言うことに。


広島に到着。
まずは、生まれて初めての広島お好み焼き。
早い話がソース焼きそばなんだね。
思わず3/4食べてしまってから、パシャ!
おたふくソースが、甘くて美味しい。
本場広島のカキ焼きも、ぷりぷりで美味。


夜の広島、繁華街。
外国人向けのこじゃれたお店が多い。
大きな白い文字QUIJOTEのお店があって、何かと思ったら、外国人専用のドンキホーテ。
道路脇にオートバイの長~い駐車場があって、オートバイ専用を日本で初めて見た。
まるでヨーロッパにいるみたい。
異国情緒を感じる。


11月8日

初めて会う従兄弟に案内して貰って、まずは広島周辺巡り。
瀬戸内海には島が沢山あるのにビックリ!
淡路島と小豆島くらいだと思ってたら、大小800くらいはあるらしい。
尾道にて。


”尾道ラーメンで一番(行列が長い)”という「朱華園」にて昼飯。
はっきりした濃い醤油味に豚肉の甘味が合わさって、自分好みの味。
こんな美味しいラーメンが近所にあったら、毎週通いたい。


11月9日

広島市内で、母が青春時代に通った学校巡り。
一つ目は、県女(広島県立第一高等女学校)で、今は皆実高校。
2つ目が、女専(広島女子専門学校)で、今は県立広島大学。
ハカマ姿で「はしたない」と言われながらも、自転車で通っていたと良く聞いていた。
母は晩年、女高生時代の話ばかりを繰り返ししていて、まさにここがその舞台なので、ちょっと感慨深い。


”鞆(とも)の浦”へ移動。
ジブリアニメ「ポニョ」の舞台にもなっているけど、ヒュー・ジャックマンの日本を舞台にした「X-MEN ZERO ウルヴァリン」のロケ地にもなったらしい。


隣の山口県に入ってから山の中に突然出現する「いろり山賊」で夕飯。
外人がイメージする日本をごった煮にした感じで、とてもパワフルなお店。
岩国基地が近いので、外人さんが沢山来ている。
ヤマメの刺身を初めて食べたけど、味は微妙。(淡泊すぎて味が良く分からなかった)
写真には無いけど、ステーキとおにぎりが美味しかった。
大人気のお店で、夕方の5時に入っても既に人が並んでいた。


11月10日

今日の朝散歩は、平和記念公園。
ドーム部分だけ鉄骨の建物を、57年前にも見た記憶がなんとなくある。

この上空600mで。


広電(広島電鉄)を乗り継いで、宮島まで。
色んな車両が走ってる。


広電で宮島口に到着。
5両編成の真ん中の車両が、とても短いのが特徴。


宮島その1、厳島神社。
ちょうど満潮。
夕方に干潮になるので、宮島口に一端戻ってアナゴメシを食べてから、また来る予定。


宮島その2
鹿さんのモデル代が1、000円の記念写真を、さらにスマホで撮ったもの。


宮島からフェリーで本土(宮島口)に一旦戻って、”穴子めし”で有名な「うえの」でお昼ご飯。
従兄弟の和彦さんから「宮島に行ったら、絶対にこれを食べるべき」と薦められたお店。
こんなに穴子だらけを食べるのは、生まれて初めて。
美味しかった!
午後は、また宮島に戻って、3時のおやつに牡蠣焼き。


宮島まではJRの連絡船で。
何故か、本日すでに3往復目。
実は、あなご飯を食べに一端戻るフェリーの中で電話が掛かってきたので話していたら、知らない内に出発しちゃったので、トホホ。


宮島その3
鹿さんのハート、頂きました。
お店番の鹿さんも。


宮島その4
干潮を待つ間、牡蠣三昧。
フェリー航路の横に、養殖の牡蠣棚が一杯あった。


宮島その5
千畳閣から見る黄色いイチョウ。


宮島その6
屋形船に乗って、沖から厳島神社を。


宮島その7
干潮で鳥居が陸続きになり、そして陽が沈んで、パシャパシャ。
宮島を丸一日堪能出来た。

ちなみに、TripAdvisorによると、外国人が選ぶ日本のベスト観光地2014の第3位が宮島。
そして、今朝行った平和記念公園が第2位で、今日1日で2カ所も訪れてしまった。
ちなみに、第1位は京都の伏見稲荷。
外国人は、朱色が好きなんだろうね。
第4位が金閣寺なので、金色も好きなのかな。
http://www.tripadvisor.jp/pages/InboundAttraction_2014.html


広島でソースと言えば、”オタフク”。
そして、自分はウスターソース好きで、トンカツにもウスターを使う人。
それならばと、”オタフク”のウスターソースを近所のスーパーで手に入れた。
東京に戻って、使うのが楽しみ!


11月11日

広島お好み焼きの2軒目、「八昌」でお昼ご飯。
「お好み村」は、2階から4階まで全てがお好み焼き屋さん。
従兄弟に薦められた3階の「源蔵」は残念ながら夜だけの営業だったので、2階の「八昌」へ。
通好みと言われるプレーンな「肉玉そば」を。
ウ~ン、ここも美味しい。
中身は、山盛りのキャベツにモヤシと豚肉と天かす、それに焼きそばだけ。
ソースが、甘くて美味しいんだな。


広島名物の一つ、「八天堂」のクリームパン。
パンで作ったシュークリームで、曰わく「とろける、くりーむパン」。
お好み焼きの後のデザートに良し。


原爆ドームと平和記念公園内の原爆資料館へ。
お爺ちゃんやお婆ちゃんが住んでいた実家が、全壊全焼地域ギリギリの位置にあったことを初めて知った。
幸い火災にはならず、全焼は免れているが、爆心地から約3キロの距離で、爆風で屋根が飛んでいってしまったらしい。
したがい、直後に降ってきたと言われる黒い雨に家中がさらされたばず。
広島に来て、色々な想いが交錯しているけれど、明日ちょっと長目の文章を書くつもり。


今、走ってる広電の全て。
今日も10種類以上の車両を見た。


広島最後の夜は、レストラン「Shimamura」で。
広島に三国レストランがあった時のシェフが開店したお店。
6席しか無い小さなお店だが、今日は貸切状態で、ゆっくりと楽しく食事。
イノシシのテリーヌとか、エゾシカのステーキとか、味も食感もワイルドで、ちょっと風変わりなフレンチだった。


11月12日

突然のカミングアウトだけど、自分は被爆2世。

親兄弟が住んでいる広島が新型爆弾で大きな被害を受けたと聞き、母は列車を乗り継ぎ、最後は丸一日の徒歩で原爆投下3日後の広島市内に入っている。
幸い、実家は広島市内と言っても爆心地から3キロほど離れていたので、親戚一同は無事だった。
(実家の屋根が丸ごと爆風で飛ばされてはいるが)
あの時の爆心地周辺の悲惨さは、子供の頃に母から聞いていて、忘れることは無い。


原爆投下から2週間以内に爆心地2キロ以内に入った人は被爆者と認定されるのだが、色々あって母は被爆者の申請はせず、したがい被爆者手帳は持たないままだった。
でも、直後に爆心地周辺を歩き回った被爆者であることに変わりは無い。

原爆ドームに来て改めて思うのは、こんなことは2度と繰り返してはならないと。
しかしながら、原水爆反対運動に政治の臭いを感じるのが情けない。
原水協と原水禁の2つの団体に分裂したのは党利党略(政治)が原因だし、自分が高校生時代には「ソ連の核は正しい核」と言ってのける政治団体(現在も国政政党)もあった。
時代が今になっても、今年の夏の原爆の日に、被爆代表者が式典で集団的自衛権に言及しているが、昔と同じ違和感を感じる。
被爆地が訴えなくてはならないのは、2度と悲劇を起こさないこと、そのためには「日本中を(原爆で)血の海にする」と今ことの時にも我々を脅している国を名指しで強く非難することでは無いのか。
個人の政治信条よりもまず先に、被爆地を代表する者として当然のことを何故言わないのか。
原爆を投下されたことの恨みとか自分の政治信条だとかを超越した所に原水爆禁止運動があるのだと強く感じた次第。

体調が悪くなる度に暗い台所で机にうつ伏せて被爆の影響に怯えていた母の姿を想い出しながら、複雑な想いと共に、自分の原点の一つである広島の原爆ドームにて。