『タイの想い出』

 冬の日本から一転してムッとした暑さのバンコックに降り立ったのはちょうど3年前。どんな生活が始まるのか期待と不安の入り混じった複雑な心境でしたが、まあ何とかなるだろうという気持ちでした。

 まず、びっくりしたのは渋滞のすごいこと。話には聞いていましたが、歩いて5分のところを1時間掛かることもしょっちゅう。あきらめて歩きだせば、排気ガスで空気が汚れていて、交通整理をしているお巡りさんが防毒マスクみたいに大きなマスクをしているのが納得できました。子供達のスクールバスも良く渋滞につかまり、時間になっても学校から帰って来ないことが良くありました。私たちはアパートの25階に住んでいたのですが、部屋から周りの道路を見渡し、渋滞の中で全く動かなくなっているスクールバスを見つけだし、そこまで歩いて子供を迎えに行ったこともありました。さらに、びっくりしたのは歩行者優先ではなく、車優先なこと。横断歩道を人が渡っていても、お巡りさんは車に行けと合図するのです。お巡りさんの役目は少しでも渋滞を無くすことで、歩行者は二の次なのでしょう。そして、渋滞を避けてバイクが歩道を走ってくることだってあります。自分の身は自分で守らねばと切実に思いました。
 そして、一番苦労したのは何と言ってもタイ語でした。言葉もタイ文字も全くチンプンカンプンで、最初は買い物に行っても買いたい物をうまく伝えられず、このままでは生活出来ないとタイ語を習い始めました。普段の買い物に不安がなくなるのに1年掛かりましたが、結局タイ文字は最後まで読めず、街中にあふれているタイ文字はだいたいこんなものだろうと適当に推測しながら3年間をなんとか過ごしてきました。
 バンコックで生活をして良かったのは、寒くないこと。1年を通して部屋の温度が25度以下になることはほんの数日しかありません。暑さには強く寒さに弱い家族ですので、1年中タオルケットだけで寝られるバンコックは、我が家族には格好の土地だったようです。外の気温が40度を越えても苦にはならず、特に子供達は1年中プールに入れるので大喜びをしていました。もっとも、日本に帰ってきた今は布団にくるまることを忘れてしまい、みんなクシャミをしながら日本の冬を過ごしています。
 感心したことは、タイの人達の生活力とたくましさ。アパートの前で道路工事があった時に、どぶ川の上にトタンで囲った家がすぐに出来て、工事の人達の家族が生活を始め、工事が終わるとどこかに移って行きました。また、毎年雨期になると洪水で家が水に浸かる人たちが多く出るのですが、持ち前の明るさで何事も無かったように生活をしています。このたくましさは私達も学ばねばと思いました。 

 ここで、コタツに入りながらテレビを見ている子供達にタイの感想を聞いてみました。
 長女(小学4年)のタイで良かったことは、『友達がいっぱい出来た』、『学校の図書館が大きくて本がたくさんあった』とのこと。日本人学校は1学年7クラスのマンモス校。全校で約2千名いて、運動会などは親まで含めると約5千名の一大イベントでした。
 そして、日本に戻って良かったことは、『一人で友達の家に遊びに行ける』のだそうです。バンコックでは親と一緒でなければ外には出られず、かわいそうに思っていました。
 長男(幼稚園年長)のタイで良かったことは、『マンゴとパパイヤがおいしかった』『ナンさんと遊べた』とのこと。ナンさんとはお手伝いさんのことで、外に出られない時に子供達の遊び相手になってくれていました。日本に帰国当初、ナンさんがいないと長男はかなりしょげていました。
 そして、日本に戻って良かったことは、『新しい友達がたくさん出来た』、『自転車に乗って公園に行ける』のだそうです。子供達はどこに行っても友達をすぐ作ることが出来て、これまで引っ越しの多かった我が家としては子供達の柔軟性の高さに感謝しています。考えれば、過去10年で7回引っ越ししました。

 さて、タイでの一番の収穫は、いろいろな人と巡り会えたことです。そして、周りの人達に恵まれて、楽しく有意義に生活することが出来ました。日本各地からそれぞれバンコックに集まり、そしてまた日本の各地に戻られるその方達と今後もお付き合いを続けて行ければと思っています。
 
 バンコックから帰国して4ヶ月が経ちました。山の深々とした緑は紅葉となり、さらには霜柱が立つ季節へと移り変わりました。日々のちょっとした変化にも四季を感じ、やはり日本はいいなと感激しています。バンコックに行き、いくつもの貴重な体験が出来たことはもちろんですが、こうして改めて日本の良さを感じることも出来ました。
 忙しさに追われる日々の中で、タイでの出来事は遠い過去のことになろうとしています。しかし、今後もこの貴重な経験を忘れることなく大事にしていきたいと思っています。

1997.10
by ママ