今日だけスペシャル その-1
【この日を迎えて】

ちょうど1年前、60才の誕生日を迎え、会社人生の一区切りが付いたところで、次世代を担う人をヨーロッパで探すためにパリ行き深夜便に飛び乗った。
薄暗い機内で、ゴォーという単調なジェットエンジンの音を聞きながら、走馬灯の様にこれまでのことを思い返していた。
珍しく感傷的な気分の中で、その時の想いを機内から子供達にメールで伝えた。

「 深夜便は、まるでタイムマシーンだね。
暗い機内で、思い出が過去を遡っていく。
ママに出会って、君達が生まれ、そしてアメリカとタイ、さらに日本の暮らしの中で、君達は少しずつ大人になっていき、今はそれぞれ自分の道を歩んでいる。
60才の区切りに昔を想えば、いつも皆と一緒で楽しかった。
そして、これからも楽しみにしている。」

自分の仕事について余り触れたことが無かったけれど、この際なので、少し書いてみる。

5年程前に100%外資系になった会社は、仕事の仕組みも組織も根底から変わっていく中で、新たに赴任してきたスエーデン人社長を面接で旨く騙して(?)、理系の自分としては異例の人材教育を任されることになった。
従来の日本偏重から海外主体に構造変革させるのが自分の役割。
社内や部下の大反発を浴びながらも、グローバルを旗印に仕事を進めていった。
”Conservative(保守的)にしか対応出来ず「無理です」と言ってしまう人”と、”Aggressive(積極的)に捉えることが出来て「やってみましょう」と言える人”に、社内の人材がはっきりと二分されていくのが良く分かった。
そして、今年に入ってからは冒頭のヨーロッパ出張で後継者に選んだ人も強引に日本に呼び寄せて、何とか構造変革させるという役割を果たすことが出来たと思っている。
そして、次のステップに向けた新しい道筋が出来上がったところで、36年勤めた会社を本日退職する次第。
(3ヶ月前に実質的に仕事は終了させて、Happy Retirement Lifeを既に始めているけれども)

最後に一言。
晴々として爽やかな気持ちでこの日を迎えられるのは、嫁さんのこれまでの協力のお陰だと思っている。
嫁さんに感謝!


今日だけスペシャル その-2
【通勤路】

荒川沿いの通勤路。
春の田植えに始まり、元気に伸びた夏の稲穂が緑から秋の金色に変わる田んぼの四季を、何度も見せてくれた路。
いつも仕事のことばかり考えながら運転していた。

この写真の場所に、2つの思い出がある。
帰りが深夜になって、この場所を通ったら、突然2匹のタヌキが暗闇から自分の車の前に飛び出してきて、ヘッドライトで明るく照らされた路上でそのまま5分程けんかを始めた。
廻りには鎮守の森が沢山あって、タヌキをちらったと見たことはあったけど、目の前でジーッと観察出来たのは初めてのこと。
そして、何事も無かった様にタヌキ達は立ち去って行ったが、深夜だったこともあり、夢でも見てたのか、はたまたタヌキにばかされたのかとポカーンとしてしまった。

もう1つの思い出は、再び仕事に関わる話。
(今日は特別な日なので、ご容赦を)
8年ほど前、理系にもかかわらずB2B営業を任されていて、新たな分野で数十億の営業利益を出したことがある。
営業をやったことがある人は分かると思うけれど、多少大きな商売をしていても、数十億を新たに売上げることは、そう簡単に出来ることではない。
それが、売上げでは無く、営業利益がこの額だったので、社内が大騒ぎになった。
そして、社長から密かに金一封を貰った。
そんな時に、やはり深夜、仕事のことを考えながら運転していて、「あー、今日も疲れた」と思ってこの場所に差し掛かった時、何故か突然に「そうだ、俺はスポーツカーが欲しかったんじゃないか!」、「今買わなくて、いつ買うんだ!」と思い立った。
仕事にかまけて、すっかり忘れていた長年の想いが、突如爆発した感じだった。
その1ヶ月後に、金一封が化けて、赤いロードスターが我が家にやって来た次第。

この路を通勤路として使うのも、今日が最後で、感慨深いものがある。


今日だけスペシャル その-3
【理系の仕事】

退職の日を迎えて、”今日だけスペシャル”の最後。
先の2つは自分にとっては異例の文系の仕事だけれど、本来の理系の仕事についても。

最初の3年間だけ工場勤務で、トラック組立の技術員をやっていたけれど、北アフリカのアルジェリアに長期出張してから後は、ずーっと海外がらみのアフターサービスと品質保証にたずさわっていた。
アルジェリアでの仕事が、自分の行き先を決定付けたけれど、これに付いては長い文章を書いているので、ここではスルー。
以下、いくつか思い出に残こる仕事について。

1.アメリカ駐在
家族と共に楽しく過ごし、長男も生まれて充実した3年間だったが、仕事も充実していた。
アメリカ内で起きる品質問題をリサーチするのが仕事で、全ての問題を自分が解析&解決させると心に強く決めていた。
ことが起きれば、すぐに現場に飛んで行ったので、ほとんどの州に行っている。
社内でも注目されているマーケットだったので、何かあると原因究明のために日本からすぐに開発部隊が飛んで来るのが常だったけれど、自分がいた3年間だけは一度も開発の出番を作らなかった。
ちなみに、エンジンの電子制御が出始めた頃で、今どの様な制御状態なのか車の横にいるだけで分かっていた。(詳しく言うと、制御マップが全て頭の中に入っていた)

2.タイ駐在
一転して、アフターサービスの最前線に身をおいた。
タイ国内のディーラー網整備と、自社ガレージの運営が仕事で、いかにディーラーに儲けさせるか、そして自分も儲けるかをいつも考えていた。
3年間で、売上も利益率も2倍にしたのが自慢。
家族で何回も旅行に行ったけど、ちゃんと仕事もしていた。

3.品質保証
業界のリコール隠しが世間を騒がせていた時、品質保証の海外向け代表をしていた。
海外部門と言えども、お国から注目されていて、霞ヶ関のリコール監査室に良く呼び出された。
公明正大を旨としていたので、お国対応よりも、社内で埋もれている事実を掘り起こす方が大変だった。

4.PL裁判
アメリカで訴えられて、対応チームとして1年間専従したことがある。
会社がつぶれそうな程の結構な額が提示されていたので、薄氷を踏む思いで望んでいて、夜に良くうなされた。
法律や契約について、付け焼き刃ながら勉強し、以降の仕事に物凄く役立った。(アメリカの法律を、成立前の検討段階のものも読んでいた)
ちなみに、裁判の方は、訴えが取り下げられて、和解という最良のケースで終了し、これも社長に褒められた。(この時は褒められただけ)
この時に思ったのは、自分勝手な法律と制度を作って、アメリカはなんと我がままな国かと。
そして、この我がままを、最近中国に感じる。

5.失敗
若い頃は良く失敗した。
アルジェリアに行く前、国内ディーラーに2年間出向していた時が一番多かった。
新車の納車に立ち会って、トラック荷台に設置されたクレーンの操作説明をした時、ワイヤーを外そうとして、緩めるつもりが、引っ張る方向に操作してしまい、お客様の目の前でその新車のフレームをグニャーと曲げてしまったことがある。
営業所の所長にめちゃくちゃ怒られた。
大型免許を持っていたので、トラックの納車引き取りにも良く行った。
大きな工場を持つ会社には大型の消防車があって、これを納めに行く時のこと。
首都高を走っていて、なにげにボタンを押したら、サイレンが鳴り始めた。
止め方が分からなくて、赤いランプも回しながら、しばらくそのまま走ったことがある。
前を走っている車は、一斉に左に寄るんだね。
これも、後でばれて、怒られた。

思い出してみれば、何でも屋として色んなことをやってきた。

そして、自分の仕事について書くのは、これが最初で最後。

2013年11月30日 Facebookより


息子からの返信

11月一杯で、父が仕事を退職しました。
本当は昨年定年を迎えていたのですが、一年間仕事を続けていたようです。 

家族には仕事のこと話さない父で、昨年定年を迎えた時に「何をして来たか気になる!」と伝えたことがありました。
今回第二の人生スタートというタイミングで、そんな僕の疑問に家族へ伝わる様にFBで色々書いてくれて、今回初めて父が何をして来たかを知りました。

子供の頃、本当に父は忙しいし、結構遅くに出来た子だから、体的に外でサッカーやキャッチボールして貰ったことも無く、高校ぐらいまでは父と話すのが怖かったんです、実際。

幼い時から家族四人みんなでお出かけするか、父抜きでディズニーへ行ったりばっかだったので、たぶん父と二人でどっか行くなんて少なかったし。 

高校受験とか、高校の部活とか始めは色んなこと反対されたし、大学選びも反対され、大学辞めるときも本当に反対され、、、
でも、いつも最後には分かってくれて、特にあれだけ反対した部活を最後はすげぇ応援してくれて、毎週土日の練習の時は学校まで車を出してくれたし。
大学辞めたことも、たしか店長の職につくことも反対されていました。
でも、やっぱり今では応援してくれて、ディスプレイ変えると毎回見に来て、アイスを食べてってくれます。

そんな父が僕の想像を遥かにこえる大きな仕事をし、その中で家族をとても大切にして、幼い僕達姉弟に沢山の貴重な体験をさせるため、みなで海外へ沢山行ったり、部活させてくれたり、いろんなお稽古?も通わせてくれて。

今になって本当に凄い人だなって思います。
そして、その期待をことごとく裏切りまくっているバカ息子です。
まあ、過ぎてしまったことはしゃーない。
これから父と息子の関係はまだまだ続くんだし。

父のような仕事では無いけれど、一応こんなんでも一つの飲食店の店主としてお店を守り繁栄させる身として。
今後どのような人生があるのかは分からないけど、なんだかんだ仕事はしっかり成功させたい、そう思う所存です。

とりあえず、お父さん、お仕事お疲れ様でした。

多田家はほんと変わった家族だけど、幸せな家庭だし、子供二人が社会人になってもやっぱ仲が良い家族なんだな。

2013年12月3日 息子のFacebookより