「広島にて考えたこと」その1

突然のカミングアウトだけど、自分は被爆2世。

親兄弟が住んでいる広島が新型爆弾で大きな被害を受けたと聞き、母は列車を乗り継ぎ、最後は丸一日の徒歩で原爆投下3日後の広島市内に入っている。
幸い、実家は広島市内と言っても爆心地から3キロほど離れていたので、親戚一同は無事だった。
但し、実家の屋根が丸ごと爆風で飛ばされている。
あの時の爆心地周辺の悲惨さは、子供の頃に母から聞いていて、忘れることは無い。


原爆投下から2週間以内に爆心地2キロ以内に入った人は被爆者と認定されるのだが、色々あって母は被爆者の申請はせず、したがい被爆者手帳は持たないままだった。
でも、直後に爆心地周辺を歩き回った被爆者であることに変わりは無い。


原爆ドームに来て改めて思うのは、こんなことは2度と繰り返してはならないと。
しかしながら、原水爆反対運動に政治の臭いを感じるのが情けない。
原水協と原水禁の2つの団体に分裂したのは党利党略(政治)が原因だし、自分が高校生時代には「ソ連の核は正しい核」と言ってのける政治団体(現在も国政政党)もあった。
時代が今になっても、今年の夏の原爆の日に、被爆代表者が式典で集団的自衛権に言及しているが、昔と同じ違和感を感じる。
被爆地が訴えなくてはならないのは、2度と悲劇を起こさないこと、そのためには「日本中を(原爆で)血の海にする」と今この時にも我々を脅している国を名指しで強く非難することでは無いのか。
個人の政治信条よりもまず先に、被爆地を代表する者として当然のことを何故言わないのか。
原爆を投下されたことの恨みとか自分の政治信条だとかを超越した所に原水爆禁止運動があるのだと強く感じている次第。


体調が悪くなる度に暗い台所で机にうつ伏せて被爆の影響に怯えていた母の姿を想い出しながら、複雑な想いと共に、自分の原点の一つである広島の原爆ドームにて。

2014年11月12日 Facebookより