「広島にて考えたこと」その2
(世界平和と優先順位)

この2年間、色々な本を読んだり、色々な所へ直接行き、見て考えながら自分なりの結論を出せたのが「世界平和と優先順位」。
しばらく日本を離れる前に、自分の考えをまとめておきたい。

広島と長崎の両方の平和公園へ行き、母の体を苦しめ続けた原爆の恐ろしさを理解すると共に、被爆2世である自分も平和を強く願う気持ちで感無量になった。
しかし、2ヶ所の公園共に「世界平和」と言う言葉が溢れ過ぎていて、なんか違うなと同時に感じていた。
例えば、長崎の平和公園に、いつでも日本に再びの核を落とす能力と意志を持っていた国(ソ連)が寄贈した「平和の祈り像」が堂々と置いてある。
現実の世界の中で剥き出しの武力をかざす者でも、堂々と使える「世界平和」という言葉の意味の軽さに強い違和感を持った。
ちなみに、核を含む軍事力を誇示する国は、今はすぐ隣にも2つあり、共に一党独裁であるのが恐ろしい。

広島の平和公園を朝散歩していて、その違和感の理由に気が付いた。
それは、優先順位。
「世界平和を願う気持ち」はとっても大事だけれど、「自分の国を守ること」も同時に大事なこと。
考えなければいけないのは、その優先順位。
日本には、護憲論を中心として「自国を守ること」よりも、「世界平和を願う気持ち」の方が大事と考える人が多くいる。
しかし、海外へ行き、色んな人と議論をしても、「自国を守ること」が圧倒的に優先順位が高く、「世界平和を願う気持ち」の方が大事だと言う人には会ったことが無い。

憲法9条は、戦争を放棄することで世界平和を願う気持ちを明文化した理想に燃えた素晴らしい文章だと思う。
そして、広島と長崎の平和記念式典に50カ国以上の海外からの来賓が毎年参加している。
しかし、その各国からの参加者に「武力不保持の憲法を自国で採用するか」と問えば、全員が「とんでもない」と答えるはず。
何故なら「自国を守ること」の優先順位の方が圧倒的に高いと考えているから。

2年間、理想と現実をあれこれ考えながら辿り着いた自分の結論は、憲法9条の加筆。
第1項と2項の理想の精神は残しつつ、第3項を追加して、以下を明文化する。
・自衛のための戦力は保持する
・他国は侵略しない
・核を含む大量破壊兵器は保有しない
上記3つは多くの日本人に共通する考えだと自分は理解している。

解釈をこねくり回さないと理解出来ず、神学論争の様な不毛な議論を永遠に続けなくてはならない憲法は、どう考えても理にかなっていない。
安保法制に対するデモの中で心配されていた「戦争する国になってしまう」も、憲法に上記3点を明記すれば、憶測からの不毛な言い争いにもならず、もっと有意義で前向きな議論が出来る様になる。

「憲法は変えるな」、でも「憲法にはっきり書かれていないので心配」と言うのは、理想だけを唱え、現実への対応に不安を抱きながらも直視しないと言う典型的な戦後日本の潮流だと思うけれど、どうにも理解しがたい。
「世界平和を願う気持ち(理想)」と「自国を守ること(現実)」の両方を憲法にバランス良く明記させるのが、9条加筆だと思っている。

北海道を旅行していると「世界に誇れる憲法9条」という大きな立て看板を良く見かける。
しかし、今のままでは国の主権(自衛のための戦力の保持)を自ら否定していて、「世界に恥じる憲法9条」だと思っている。

2015年10月25日 Facebookより